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2011年8月17日 (水)

“右翼”もまた国家をおかしくする

 “左翼”が存在するならば、“右翼”もまた存在します。“左翼”が国家を破壊するとすれば、“右翼”もまた国家をおかしくします。
 右翼というと「国粋主義者」って感じですけど、私のいう“右翼”とは国家を一方的に愛して崇拝し、そうでない者自分と意見が合わない者を罵り攻撃する輩のことです。別に国家という抽象的な存在を、愛そうが崇拝しようがそれは個人の自由であり好きにしてくれればいいのですが、そうでないからといって他人を攻撃してよいものではありません。ましてやたいした理由もなく「反日(反日本的)」と決めつけて他人を貶める権利などありはしないし、自分の後ろ盾として国家なんてものを勝手に持ち出すなんて論外ですわ。自らの精神的弱さや幼稚さを隠しているだけじゃないか、情けない。
 そもそも、国家というものはどんなに信じようと崇めようと個人を救ってなどくれませんから、崇拝する対象になどならないはずです。それどころか日本は民主主義国家であり、我々日本国民は日本国の単なる構成員というだけではなく、1人1人が主権者として国家に対し権利と責任を有しています。1人1人が国家権力の一部を担っているということです。専制国家や社会主義国家のように、国民と国家が分離し、国家権力によって一方的に弾圧する/されるという関係にはないのです。北朝鮮政府みたいに一方的に弾圧してくるような恐ろしいものであれば崇める必要もあるのかもしれませんが、自ら一部を担って参加している相手なのに、崇拝なんかして何の意味があるのやら。もっと言えば、“右翼”というのは日本国というものを何か遠くの存在と錯覚しているわけで、主権者としての自覚が足りない、とも考えられますな。彼らがさんざんバカにしている日教組(日本教職員組合)の“左翼”的国家観(=国家という最大の社会権力は倒すべき敵である)に基づく教育の影響を、もろに受けているのかもしれませんね。単純にその逆を言えばよい(国家は我々の最大の味方である)って考えているのだとしたら愚かとしか言いようがない。「国家」を語りたいなら、最低でも自国の憲法ぐらいは理解しておいてもらいたいものです(日本国憲法には敵とも味方とも書いてありませんよ?)。
 私は、“右翼”がよく口にする「愛国心」なんてものは持っていません。日本という国が好きとは言えないし、「御国のために死ぬ」なんて冗談じゃないし。と言っても、日の丸も君が代も嫌いじゃないですし(国旗が日の丸で何の問題もないし、君が代だって普通に歌います。掲揚しない歌わないって方がおかしいと感じます)、日本人であることに誇りはあるといえばあります(ないと言えばないかもしれないが、バカにされれば反論しますね、間違いなく)。前回の“左翼”批判<こちら>で書きましたけど、彼らのように国家という巨大な“壁”に「反対」という形で寄り掛かって甘えるつもりは一切ない一方、“右翼”のように国家を一方的に愛することも一切ありません。私にとって大切なのは、国家などというあやふやなものではなく、日々の暮らし(現在)であり、その延長としての行く末(未来)であり、同じ場所に住まう共同体としての日本国民その1人1人の生命や健康です。「国家のためなら個々の暮らしを犠牲にしても構わない」なんて戦前の大日本帝国みたいな思想は大嫌いだし、許せません。権力者個人の自己満足を図るべく国家の名の下に多数の庶民を犠牲にしているにすぎないからです。そんな欲にかられた権力者に利用されるだけなんですよ、「愛国心」なんて結局のところ。くだらない権力者の姿なんて、私たちは毎日のように見ているじゃないですか。あんな連中に利用されたいですか?そういった不幸な関係にならないよう、今の私たちは国家に参加しているのです(だからこそ国民の参政権というものは大切なのであり、日本国民以外の外国人に簡単に渡せるものではないし渡してはならないのです。国政はもちろん、地方自治でも同じですよ)。

 そんな私ですけど、言っていること書いていることは結構“右翼”的だったりします。「反対のための反対」でしかない“左翼”の甘ったれた考え方はとにかくイヤですし、社会全体のことを考えて意見を出してみると“右翼”に近くなったりもするんですな。
 しかし、今回の震災でわかったことは、“右翼”と私とは相容れないということでしたよ。
 理由その1は、結局のところ“右翼”という存在は他人を罵るしか能がないってことです。震災直後から“右翼”は「即時解散総選挙せよ」と連呼していました。たしかに民主党政権の震災対応は惨憺たるもので、「退陣せよ」という主張はある面もっともでした。けどね、震災によって被災した地域は壊滅的被害を受けたのです。未だに行方不明者がたくさんいるというのに、選挙などできますか?選挙人名簿はどうやって作成するのです?どうやって投票するのです?国政選挙を一部だけ延期にする(政治空白地帯を作る)なんてことをしても良いと本気で思っているのですか?結局“右翼”は、民主党政権が“左翼”政権だから潰したいだけなんですよね。潰した後には非“左翼”政権(=自民党政権。たしかに“左”ではないものの、私は自民党が愛国心に満ちた政党だなんて欠片も思いませんけどね。どうしてああも自民党自民党と言うのか理解できません)ができると勝手に思い込んでいるようですけど、民主主義国家においては民主的基盤が脆弱な政権などそれこそ簡単に崩壊するのです。それどころか、以前書きましたけど今国政選挙を強行して実施したところで選挙無効とされかねない状態なのです<こちらの記事に書いてあります>。そんなことも考慮せず、“左翼”政権だから潰すだけなんてのはね、国益も何も考えていないただの阿呆ですよ。自分の都合を押しつけてくるだけで、被災した人々のことを考えず国民全体のことまで頭が回っていない人間の戯言など聞きたくないし見たくもない。そんなものは「見るに堪えないもの」なんです、私にとって。
 理由その2は、“右翼”は自分の都合が全てで、いつまでも過去に拘り現在が見えていない点です。代表例が、いわゆる歴史教科書問題ってやつです。「自虐史観」とか言って日本史の記述をおかしいといつまでも言い続けているのですが……そもそも歴史の教科書の記載事項が全て正しいことと思っている時点で愚かとしか言いようがありません。歴史学というのは研究が進むに従ってどんどん解釈が変わっていく学問です。私が歴史の授業で習った事象と現在の通説がまるで違っている事象など多々あります。どの時代であれ、歴史というものをちゃんと知りたければ自分で最新の文献を当たり、自ら学習するしかないのです。それを「○○という解釈は間違いだ。書き直せ」と強制するなど呆れます。さらにバカげているのは、そういう主張を韓国や中国の捏造教科書に対抗するためにしている点です。韓国や中国の歴史教科書はたしかに自分たちの都合の良いように歴史を捏造しています。それを間違っていると指摘するのはもちろん構いません。が、それに対抗して日本の教科書を無理やり“非自虐史観”的に書き直すということは「捏造」ではないのでしょうか。そうやって一方的に自分の都合を押しつけることは、韓国や中国がやっていることと何も変わらないといつになったら気付くのでしょうね。あんな連中と同じレベルに墜ちたいのでしょうか。こういう所も「見るに堪えない」んですよ。
 理由その3は、“右翼”はやたらと戦争を肯定し美化したがるのがね……私も「戦争するしかないときもある」と考えますし、軍事力も否定はしません(自衛隊は憲法上の組織としなければならないと思っていますし、交戦権を容認し防衛軍とすることにも反対とまでは言いません)。口では戦争反対と叫び平和を語りながら、闘争を辞さず粛正という名の殺戮は平然と行う“左翼”の矛盾の方がよほど許せないのも事実です。でも、だからといって、ことさらに軍事力を持ちたがり、使えもしない核兵器なんかに憧れたりするのはね。おもちゃをねだる子供みたいで幼稚なんですよ。国家なんて、いくら武装させたところで自分が強くなるわけではないし、ましてや自分の弱さをカバーしてくれることは絶対にないのです。それに、“右翼”は終戦記念日になると必ず靖国神社の話を出してくるんですけど、靖国神社/護国神社には行きたい人が行って「英霊」を拝みたい人が拝めば良いのです。「英霊」がなんであれ、拝礼することは他人に押しつけることではありません。「特定の日には○○教の本部へ行って拝んでこい、日本人としてそれが当然だ」と言われて素直に納得できますか?それがたとえ戦没者の慰霊であっても同じことですよ。“左翼”は原爆の日を祭り上げ、“右翼”は終戦記念日を祭り上げてますけど、どっちもうんざりです(それらを未だに政治利用し続ける政治家たちも大嫌いだ)。いつになったらこの国は戦没者を静かに弔うことができるようになるのかって言いたいです。この点でも「見るに堪えないもの」ですわ。

 私は国のこと社会のことを真剣に考えたいと思っています。が、“思想家”になりたいとは思いませんし、“国士”なんてものにもなりたくありません。偏った考え方というのは、どこかで間違った答えを導き出す危険があります。もちろん「私は“左翼”でもなければ“右翼”でもないのだから、私の考えは何も間違っていない」などと大それたことを言うつもりはないですけど、少なくとも筋は通したいのです。自分は弱い存在でしかありませんが、その弱さに負けて“負け犬の遠吠え”みたいな屁理屈をゴネ回す人間にだけはなりたくないのです。“負け犬”的な価値観というのは“左翼”の方に強くでているように感じますけど、“右翼”だって似たようなものです。幼稚なところも似ています。そんな偏った考え方に流されることなく、私は1人の成人男子として、社会人として、自分なりの考え方を貫きたいと思っています。
 何を信じていいかわからない時代ですし、別に“左翼”思想に流されたって、“右翼”思想に取り憑かれたって、それはそれで個人の自由だし、尊重されてしかるべきなのでしょうが……私は、イヤなのですよ。マスメディアの“左翼”嗜好、ネットの“右翼”傾向、どちらにも与したくないのです。
 “左”でも“右”でもないが芯の通った考え方、あるはずだと思うのですがね。

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